ブラック・ショーマンと覚醒する女たち


 隠れ家的なバーのマスターは、元マジシャン。
その店に訪れる客の不審な行動を見破り、または
 亡き夫から莫大な遺産を相続した女性の前に絶縁したはずの兄が現れて、「あんたは偽物だ」と言い張り、金を請求する。
妹は本物か偽物か。
バーのマスターが、華麗なマジックで謎を解く。

 映画化している作品。
マスターのうさん臭さがもっと欲しかった。
なじみ客を大事にするやり方は良いが、何も知らせず姪を模擬強盗の人質にして、本物のナイフを首にあてがうといったやり方がひどすぎる。
そのせいで後味がとても悪かった。

月虹の夜市 日本橋船宿あやかし話


江戸・浅草川に浮かぶ島、箱崎の小さな船宿「若狭屋」の女将である涼。
幼いころに妖の嫁になることが決まっていたお涼は、普通の人が見えないものが見える。
そして彼ら妖たちから頼みごとを去れると断れない。
片目片足の小僧の探し物や、蹴鞠の神様たち。
彼女のそんな性質は、親から受け継がれたものだった。

 今回は、お涼の物語より父と祖父の物語が多かった。
彼らがどんな出会いがあって、どんな妖と交流が合って、お涼へとつながったのかがたくさん綴られていた。
不思議と優しい妖たち。

まぼろしの女 蛇目の佐吉捕り物帖


 十手を預かる若い岡っ引きの佐吉は、亡き父の人徳で周りからは親分と呼ばれてはいるが、まだ若造で自分の生業に自信が持てずにいた。
ある朝、大川で若い女の死体があがるが、服ははぎとられて髪までそられているという惨いものだった。
身元が分かるものもなく、佐吉は必死で調べる画全く手がかりがない。
友人であり町医者の秋高と共に依頼を調べ、推理したのちにわかる真相は、驚くべきことだった。
 死体のそばに二十四文銭を残す連続辻斬り、病でろくに動けない老人が殺された事件、佐吉が江戸本所を走る。

 検死をする医者の秋高と共に、佐吉が出くわす殺しの事件。
不可解だったり理解できない考えだったりと様々で、よくある設定ではあるものの起こる事件が珍しいことばかりで興味が沸いた。
立場が違えば考え方も違い、それに納得できなくて悩む佐吉を見ていると、まだ経験は浅いがとても頼もしく感じる。

絵師金蔵 赤色浄土


 幕末の土佐、髪結いの家に生まれた金蔵は、絵の才能を見込まれ、江戸で狩野派に学び「林洞意美高」の名を授かる。
郷によびっ戻された金蔵は国元絵師となるが、商人の身分で国元絵師にまでなった金蔵をやっかむ者に贋作を作ったと冤罪をかけられ投獄されてしまう。
なんとか放免になったものの、親友の死、弟子の武市半平太の切腹、師匠の死、そして大地震と、金蔵を悲しみが襲う。
幸せとは何かを追い求め、たどり着いた金蔵の色とは。

 いきなり投獄のシーンから始まるので、どんな偏屈な主人公かと思っていまいち集中できず、読み進める気がお空なかった。
でも少しづつ進めていくと、金蔵の人となりが見えてくる。
それでも史実をなぞっている部分は淡々として、絵への執着はそれほど見えてこなかった。
血の赤を厄払いと考える金蔵にたどり着いてからは、時代の流れの速さを追いかけるようにあっという間に何年も後の話になって追いつけないところもあった。

百鬼園事件帖


 昭和初期、平凡で誰の記憶にも残らない影の薄さが悩みの大学生・甘木。
カフェなのにコーヒーが不味い店の常連だった。
そこで出会った偏屈で厳しいドイツ語教師の内田榮造先生と親しくなる。
先生は内田百間という作家でもあり、夏目漱石や芥川龍之介とも親交があったようで、そんな先生と行動を共にしていると、だんだん不可解な現象に出会い始める。

 偏屈だけど見捨てない先生と一緒にいるうちに、おかしな気配に気づき始める甘木。
そして話は芥川が描いた先生の絵へと移り、目の中にグルグルとした渦巻きを持つ影と出会ってしまう。
それはドッペルゲンガーだという事になっていくが、それは今まで持っていたドッペルゲンガーのイメージとは全然違うもので、この作品独自の存在だった。
その存在が面白くて意外で、それらが出てきてからは急に話が進み始めて面白かった。
特に先生のドッペルゲンガーは一味違っていて、どんなふうに現れて先生と協力しているのかもっと知りたくなる。

伯爵と三つの棺


 フランスが革命に入ろうとしている時、近隣の小国で起こった出来事。
ある日家を抜け出した小貴族の次男は、領地の堺である少年に出会う。
彼は三つ子で、仲良くなった4人は友情を深めていくが、大人になり三つ子の父であり彼らを捨てたという吟遊詩人と面会の機会が訪れる。
しかし面会直前に吟遊詩人が射殺され、目撃証言から犯人は三つ子の誰かだということになった。

 鑑定の技術がない時代、推理だけで犯人を追い詰める。
主人公の次男・クロは伯爵の書記官という職を得て、あらゆることを記録する傍ら、三つ子や伯爵との信頼関係も築く。
そこで起こった事件を追ううち、犯人は捕らえられ刑も済み、事件は終わったかにみえる。
しかしいくつかの疑問や違和感を持つ者が次々と新たに出てくるという止まらない思惑が、手が止まらないほど集中させた。
事実が語られるのは常にその者が死んでから手記で、という共通点も、まだ何か残っているのではと思わせる。